ゲームで描かれてる情報を元に個人的な解釈を書きました。間違ってるとおもいますが 気にしないでください。
正しくは 死と乙女のノベルをお読みください。


幼い頃 交通事故により 母親を亡くした桐谷(たぶん)。
父親は話がでてるので生きてるんでしょう。

※母ではなく 姉 かも?という投稿を見ましたが
姉だろうが 妹だろうが 親戚 いとこ はとこ だろうが 幻だろうが 
書きたいことは同じ


母親は後ろを向いていたから 衝突の衝撃で後頭部をぶつけ即死だったのでは。
(シートベルトしてなかったような・・・)


彼はその悲しみと絶望のあまり 思い出すことが出来なかった(本人にとって身体に悪影響を
及ぼす 受け入れがたい現実のため 自らの記憶にフタをする作用が働いたとも考えられる)
もしくは  思いだすとと苦しいから 思い出そうとしなかった

(ヒカルが 悲しいことは 重りをつけて静めようとするが 浮かんでくるの・・・という言葉より
桐谷先生の心情を 代弁してると思われます。)

心は思い出そうとしているのに 桐谷の理性が思い出さないようにと 悲しみを抑えこむ日々。

大人になった桐谷の前に 母親によく似た 少女があらわれた。

少女も 両親の離婚・もしくは それにつながる両親の喧嘩
による 心の傷があり 桐谷と通じる物があったという設定だと思います。

ヒカルちゃんもそういう 心の傷をもった美少女という設定なのでしょう。



母を愛しく思う心と 少女に対する 恋心が ミックスされた 2重の思い。
欲しいが 手に入らない 手に入れても もっと欲しい みたいな・・・(笑)
(母親を求める 気持ちを 恋心と錯覚していた可能性もあり。)

つきあってたらしいから 少女を手に入れても

 
現実では 決して満たされる事のない 思い。(母への思い)

この世に絶望しながら 生きてきた 桐谷


”腐りながら生きていけ”




絶望する 少女の絵・・・ 実は 苦悩する桐谷自身の 姿を うつしだしていた。


最後の チハルの日記が風で舞い上がった演出は ヒカルが救われたことで
桐谷さんの心の重りがはずれたことを意味するんじゃないかな。
過去を解き放つことで過去の呪縛から外れた・・・?

(日記はチハルが死んでから 桐谷は 読み返すことはなかったんだと思います。
ひさしぶりに読んだから 車がきてることに 気づかないほど 集中していたと考えられる。)

自分の足跡を辿る事でつながっていく二人の想い

生きてるか死んでるかわかりませんが 心は救われた
心の奥に閉じ込めていた絶望 ・・・その正体は楽しかった母との思い出だった



どうしてこんなにわかるのかって?
ふふ それはわたしが 桐谷正輝 本人だからだよ
あはははは・・・・・・・






というのはダメ?
変更前は 旧VERに書いてます。読むようなものではないんですけどね。




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